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東京高等裁判所 平成7年(う)96号 判決 1995年6月28日

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人鈴木敏夫が提出した控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討する。

第一  憲法違反を指摘し、公訴棄却を求める論旨について

一  被告人らに対する公訴の提起は、憲法一四条一項に違反するとの点について

論旨は、要するに、甲野保育園において現実に園児らの神社参拝保育の引率に当たっていて本件事故の発生を未然に防止すべき立場にあった保母五名のうち、C子一名が刑事責任を問われただけで、他の四名の保母は刑事責任を問われていないのに、神社参拝保育の企画をしただけで、その実施時期については直接園児の保育に当たっていてその状態をよく知っている保母らの決定するところに従っていたに過ぎない被告人両名の刑事責任を追及するのは、被告人らの園長又は主任保母という社会的身分によって差別をしたものであるから、憲法一四条一項に違反する、というのである。

しかしながら、後述する甲野保育園における被告人両名の地位、立場と、それに応じて被告人両名に課される業務上の注意義務とその違反の内容、さらには生じた結果の内容、程度等にかんがみると、被告人両名が、被害者の所属する組を担当し、本件当日の神社参拝保育においてその引率に当たっていたC子保母とともに公訴提起をされたことが、C子以外の引率に当たっていた保母との関係で、社会的身分による差別を受けたものとは認められないから、違憲をいう論旨は、前提を欠き、採用できない。

二  本件審理は長期化しており、憲法三七条一項に違反するとの点について

論旨は、要するに、本件は、当初から地方裁判所の合議体で審理するのが相当な事案であったにもかかわらず、検察官の公訴提起を受けた下妻簡易裁判所裁判官は自ら審理、判決を行い、右判決が東京高等裁判所で破棄されて原審に差し戻されて後、下妻簡易裁判所から水戸地方裁判所下妻支部に移送され、同支部における裁定合議決定を経てようやく合議体によって審理されるに至ったもので、被告人らが審理を長期化させたわけではないのであるから、このような審理は、被告人らの迅速な裁判を受ける権利を侵害しているものといわざるを得ず、憲法三七条一項に違反する、というのである。

記録によれば、本件は、平成元年四月二〇日に発生したが、その後捜査機関においては関係者の供述を求めるなどして捜査を遂げ、同年一二月二七日、下妻簡易裁判所に対し略式命令の請求をした。しかし、翌平成二年一月一六日、被告人両名から正式裁判の請求があったため、下妻簡易裁判所において審理を行い、平成四年五月二一日、被告人両名をそれぞれ罰金一五万円に処する有罪判決がなされたが、被告人両名は控訴を申し立てた。東京高等裁判所は、原判決の認定した罪となるべき事実によっては、被告人両名の注意義務の内容ないしはその懈怠の存否を判定し難いとし、公訴事実についても被告人両名の注意義務の内容等が適切なものとはいえないから、必要な訴因変更の手続を行い、被告人らの立場に応じた注意義務を明確にした上で、被告人両名がそれらの注意義務を尽くしたといえるかどうか、その注意義務の懈怠と被害者の受傷の結果との間に因果関係があるといえるかどうか等の点につきさらに審理を尽くす必要があるとして、同年九月二九日、原判決を破棄し、本件を原審に差し戻した。差戻しを受けた下妻簡易裁判所では、地方裁判所において審判するのを相当として、平成五年二月五日、本件を水戸地方裁判所下妻支部に移送し、同支部において、裁定合議決定を行って合議体で審理をし、所要の訴因変更手続をした後、平成六年一二月七日、変更後の新たな訴因について再び被告人両名をそれぞれ罰金一五万円に処する有罪判決をしたものである。

そうすると、本件の審理には、平成元年一二月二七日の略式命令請求のときから既に約五年半の日時を要しているが、本件事案の性質、態様、被告人らの弁解内容等にかんがみると、本件の審理について右のような経過をたどって今日に至っていること及び審理に右程度の期間を要したことはやむをえないところであって、いまだ審理遅延のため被告人らの迅速な裁判を受ける権利が侵害される状態にまで至っているとは認められない。論旨は理由がない。

第二  審理不尽の論旨について

論旨は、要するに、平成五年一月二二日付けで変更請求された新訴因においては、被告人らに業務上の注意義務が要求される時期が明確にされておらず、訴因の明示を欠くにもかかわらず、原審においてはそのまま審理を進めており、また、原判決の罪となるべき事実においても、右注意義務が要求される時期が特定明示されていないほか、放生池の危険性の具体的内容、事故発生を防止するため引率保母らに要求される具体的行為の内容、被害者が放生池に転落した経緯等が明確にされておらず、審理不尽の違法がある、というのである。

しかしながら、右新訴因は、その記載内容に照らし、十分に特定、明示されているということができ、訴因の記載が明示を欠いたまま、審理、判決がなされたということはできないし、原判決の罪となるべき事実の記載は、所論指摘の点を含め、原判示の程度で十分に具体的、明確であるということができる。論旨は理由がない。

第三  事実誤認の論旨について

一  被告人らには、業務上の注意義務もこれに違反した過失も認められないとする点について

論旨は、要するに、被告人らには、原判示の注意義務も、これに違反した過失も認められない、というのである。

1  原判決は、甲野保育園の園長である被告人A及び主任保母である被告人B子に対して課される注意義務とその違反について、次のような事実を認定判示している。

「甲野保育園においては、園児の情操教育の一環として保育園に隣接する大宝八幡宮に参拝を行う園外保育(以下「神社参拝保育」ともいう。)を行っていたが、平成元年四月当時、参拝途上の通路から数メートル南側奥に周囲に防護柵等のない放生池があり、その上、その当時は園外保育に慣れない新入園児を含む三歳児から五歳児までの合計約七〇名の園児を、合計五名の担任保母で引率、監視することにしていたため、かなりの混乱が予想され、その混乱の中から園児が保母の監視を離れて放生池に近寄り、これに転落する危険性が多分にあったのであるから、このような時期に、かつ、引率保母五名という制約の下で、神社参拝保育を実施する以上は、被告人らにおいて引率保母らに対し、右転落の危険性を十分に認識させ、緊密な連携の下に、園児の行動の監視を徹底させる必要があった。すなわち、被告人Aにおいては、園長として直接、又は主任保母である被告人B子を介して間接に、引率保母らに対し、神社参拝保育に出発するまでの間に、放生池の危険性を十分認識させるとともに、神社参拝保育中は、自らの担当園児だけでなく園児全体を視野に入れ、その集団から離脱して放生池付近に残留し、或いは立ち戻るなどする園児がないよう、それぞれの立場で互いに共同して引率、監視するよう、さらに最後尾の保母においては園児の残留等について最終的な確認をするよう指示し、もって、園児が池に転落することがないようにし、たとえ転落事故が発生しても速やかに発見してこれを救出することができるように指導すべき業務上の注意義務があり、被告人B子においては、主任保母の立場から、直接引率保母に対し、被告人Aと同様の事故防止のための具体的指導をなすべき業務上の注意義務があった。しかるに、被告人両名は、いずれも放生池の危険性に思い至らず、右のような指示、指導を怠り、単に自分の担当園児だけでなく園児集団全体を監視するよう、一般的な注意を与えるにとどまっていたため、保母らにおいて、放生池への転落の危険性とその予防策について十分認識しないまま、本件当日前記約七〇名の園児を引率して神社参拝保育に出発し、前記のような引率、監視の注意義務を尽くさず、参拝を終えて漫然と帰園した。以上のような被告人両名のそれぞれの過失と引率保母らの過失の競合により、被害園児(当時三歳)が放生池に転落したにもかかわらず、これに気付かないまま放置して溺れさせ、同人に傷害を負わせた。」

以上の事実は、原判決が挙示する証拠を総合すると、優に認定することができ、原判決に事実の誤認があるとは認められない。

2  これに対し、所論は、要旨以下のとおり主張し、原判決の右認定事実を争っている。(1)放生池は他の池と比較して特に危険な状態にあったわけではなく、最近一〇年間にも転落事故は発生していない、園児も三歳ともなれば危険性の認識は十分にあるから、池に転落するほど近付くことはないし、保母も池に近付き過ぎると転落して危険である旨日頃から注意をしていた、また、保母は放生池を離れる際には残留する園児がいないことを確認していた、(2)厚生省が示している基準に照らしても、三歳から五歳までの園児約七〇名を合計五名の保母で引率、監視するのは決して困難なことではなく、これまでも園外保育の間は、集団から離脱する園児がいないよう十分監視し、保育してきた、(3)神社参拝保育の実施時期は、実際に園児の保育に当たっている保母らの協議で決定しており、引率、監視に困難があれば実施していない、(4)神社参拝保育の引率、監視に当たる保母は、専門教育を受けて国家試験に合格し、保育の現場において経験を積んだ者であるから、保育中の具体的な行動についていちいち被告人らが指導しなくても、園児の引率、監視の仕方については既に十分認識、理解しており、被告人両名に神社参拝保育の際の引率の仕方について保母らを指導すべき注意義務などは認められない、(5)被告人Aは、神社の禰宜の仕事の傍ら保母とともに園児と一緒に過ごすこともして保育園の状態を知るようにしており、施設、備品等の破損にも注意をして園児が怪我をしないよう気を使っていた。また、被告人B子は、時間の許す限り神社参拝保育にも参加し、十分な態勢のもとに神社参拝保育が行われているか否かを確認していたのであるから、被告人両名にはいずれも過失は認められない。

3  そこで、以下、順次検討する。

(一) まず所論(1)についてみるに、関係証拠によると、放生池は、東西約一一・五メートル、南北約一〇・五メートル、面積約七〇平方メートル、中央付近の最深部が約八〇センチメートルで、東側には池に接して築山があるが、その余の周囲にはまばらに植木があるだけで、防護柵等の設備はなく、池に沿って周りを歩けるようになっていることが認められる。池の中央付近には噴水が設けられており、また鯉や金魚を飼っていたところから、保母の中には神社参拝保育の途次等に、園児とともに池に近寄り、鯉を見せるなどしていた者のあることが認められる。そして、所論も指摘するように、保母は常々園児に対し、あまり池に近付いてはいけないとか、身を乗り出してはいけないなどの注意を与えていたことが認められるが、もとより就学以前の幼児のことであるから、常に保母の注意を守り、危険な行動をしないとは限らないことは、経験則に照らして明らかなところであって、本件当時、被害園児の所属する組を担当していた保母であるC子も、検察官に対し、「私が見せなくても、男の園児は以前から池のそばに行って、噴水を見たり、鯉を見たりしていた。私は何回かそのような状況を見て、危険だなと思い、そばにいたときには、園児に対し、「身を乗り出してはいけない。離れていなさい。」といって注意していた。正直のところ、保育園と神社の途中にあのような池があって危険だなと思っていた。」と供述しており、さらに本件の二か月前まで甲野保育園の付近に住み、日頃園児の状況を見聞していたDも差戻し前の第一審公判廷において、「年齢の大きい園児は、保母と一緒でなくても自分の意思で池に近付くことがあるし、年齢の低い園児は保母と一緒に行動するが、はぐれて池に近付くことがあり、また、保母が立ち去った後、池に残る園児がいて、危ないと注意したことがある。」などと証言しているのである。右各供述内容及び現に本件の転落事故が発生していることなどに照らし、保母による放生池周辺における残留園児の有無の確認が常に完全であったということはできず、また、過去一〇年間事故が起こらなかったとの一事をもって、園児が放生池に転落する危険性がなかったことの証左とすることもできない。原判決が、新入園児がいまだ園外保育に慣れない時期における神社参拝保育の際、園児が放生池に転落する危険性が多分にあったと認定したことに事実の誤認はなく、その余の所論も採用できない。

(二) 所論(2)についてみるに、関係証拠によると、甲野保育園において園児の保育に当たっていた保母の員数が、厚生省の示す基準を満たしていたことは認められる。しかし、本件では、新入園児がいまだ園外保育に慣れない時期において、転落の危険性のある放生池の周辺を通過して行う神社参拝保育の際、合計七〇名に及ぶ多数の園児を五名の保母で引率、監視する態勢がどのようなものであるべきかという点が問われており、単に員数の上で右基準を満たしているということだけでは、必ずしも本件当時の引率、監視態勢として十分であったということはできない。そこで、本件当時の園児の状況についてみるに、関係証拠によると、四月に入園したばかりの新入園児は、例年五月ころまでは十分保育園の集団生活になじむことができず、不安定であるが、平成元年度は本件事故の三日前の四月一七日から神社参拝保育を開始したものの、出発に当たって泣き騒ぐ園児も多く、保母がこれをなだめすかすのに四苦八苦しており、また、参拝終了時には、いち早く駆け出して帰園する継続園児や、近くで遊び回る園児、さらには泣き騒いで保母に纏わりつく園児などがいて、クラスごとのまとまりは失われ、ばらばらになって帰園する有様であったことが認められる。事故当日園児の引率に当たっていた保母の一人であるE子は、司法警察員に対し、「出発に当たって、C子先生のクラスには泣いたりぐずったりする子供がいて、C子先生はそれらの泣き叫ぶ子供たちを自分の身辺において手を取って引き連れて行った。やがて追い付いたが、そのクラスはC子先生が歩けば子供たちが纏わりついていくという状態で、列というものではなかった。参拝が終わると、子供たちは駆け出して先に帰る者やその場に残っている者、近くで遊び回っている者とかでばらばらになった。ごじゃごじゃに入り乱れ、どのクラスの子供がどこにいるのかつかめない状態で帰園した。子供たちはばらばらに戻り、めいめい好きな行動を取っており、これらちりぢりになった子供を部屋に集めて話をしたりして落ち着かせる。」として、この間の事情を端的に供述している。そして、このような状態の園児を五名の保母で引率、監視するのがいかに困難であるかについては、C子が検察官に対し、「私の組は、泣き騒ぐことの多い新入園児が一〇人もいたし、六人は継続園児とはいっても、わずか三歳になったばかりであったし、これらの園児を私一人で神社まで引率することは本当に大変なことでした。」と供述していることや、同じく当日引率に当たっていた保母であるF子が司法警察員に対し、「参拝に行くときよりも、帰るときの方が大変で、駆け足する園児や泣き騒いでいる園児もおり、私は自分のクラスの園児を見ているのがやっとであり、他のクラスの園児まではよく見られなかった。とにかく各クラスとも、保母の周りに団子状態になってついてくる園児や駆け足をする園児がおりばらばらになってしまっていた。」と供述していること、さらには同じく当日引率に当たっていた保母であるI子も、差戻し前の第一審公判廷において、「事故の原因は、参拝から帰る際園児が一団になったとき、園児を把握できなかったことにある。」と供述していることなどに照らして明らかであるということができる。新入園児がいて混乱を来す四月ころにおいても、五名の保母で七〇名に及ぶ園児を十分に監視することができたとの所論は採用できない。

(三) 所論(3)についてみるに、なるほど所論が指摘するように、毎年の神社参拝保育の開始時期については、関係証拠によれば、一応、被告人B子とクラス担任保母の間において、その年の園児の状態を踏まえて検討、協議して原案を作り、被告人Aが右原案どおりに決定していたものであることが窺われる。しかしながら、平成元年度の神社参拝保育開始時点における園児の状況は、前記(二)でみたとおりであり、引率、監視に相当の困難を来していたことは否定し難いのである。そうすると、仮に園児の状態をよく知る保母間の協議がもとになって開始された神社参拝保育であっても、被告人両名は、部下職員の指導監督に当たる園長又は主任保母として、後記二の6のとおり、実際に神社参拝保育を開始した後の園児らの状況が前記(二)のとおりであることを知った以上、その状態に応じて、園児を引率する保母らに対し原判示の指示、指導を行うことにより、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があったということができる。

(四) 所論(4)についてみるに、関係証拠によれば、本件事故当日園児の引率、監視に当たった保母らは、いずれも専門教育を受けた後、国家試験に合格して保母の資格を有する者であったことが認められる。したがって、保育園内において通常一般に行われる保育の場面においては、所論も指摘するように、被告人らの具体的指導をまつまでもなく、事故防止のため右保母らが適切かつ妥当な対応をすることができると期待してよいともいえよう。しかしながら、本件においては、時間にして約一五分、距離にして百メートル余りを往復するに過ぎないものではあっても、園児を保育園の外部、それも、道筋の近くに園児の転落する危険のある池が存在するところに連れ出して保育する場合における引率、監視態勢のあり方が問題となっているのであるから、保育園内における通常一般の保育活動と比べ、より多くの視点からの配慮が要求されるものと考えられる。すなわち、前記(二)でみた状態にある園児をわずか五名の保母で引率してなお事故の発生を防止しようとすれば、原判示のとおり、自己の担当クラスの園児を十分監視するよう努めることはもとよりであるが、それにとどまらず、常に園児全体を視野におさめられるよう更に五名の保母の間で、緊密な連携のもとに、互いに共同して監視を徹底させることが是非とも必要であった。このような数名の保母による事務の分担や連携行為は、具体的な事態を想定した上で、実践的な指導、訓練がなされなければ、その要諦を身につけることが困難であることは自明のところであり、専門教育を受けた保母が園児の引率、監視に当たる以上は、もはや何らの指導も必要でないとする所論は採用できない。

(五) 所論(5)についてみるに、関係証拠によれば、被告人両名が、甲野保育園の実情を知るよう努め、施設、態勢の改善に努めていたことは、所論が指摘するとおりであると認められるが、被告人両名が保母に対し行った指導、注意の内容は、「初心に返り、事故防止に努める」とか、「預かった状態で園児をお返しするように」など、ごく抽象的、一般的なものか、せいぜい「自分の担当する園児だけでなく、園児全体を監視するよう」求める程度にとどまっており、前記(四)でみた具体的な事態に対応した指導、訓練は行っていなかったことが認められる。この点は、被告人Aが司法警察員に対し、「大宝神社には池があり、多数の園児を園外保育のため大宝神社に引率する場合に、池が危険であることを認識し、参拝時の事故防止について強く職員に指導していなかったことが本件の事故の原因である。」と供述し、また、被告人B子も、同じく司法警察員に対し、「参拝のとき、神社には池があり、危険であるので、事故防止について強く指導をしたり、四月は園児が慣れないため、大変な時期であることは十分分かっていたので、園外保育のときは引率保母を増やすなど注意すれば事故を防げた。」と供述して、それぞれ平素の保母に対する指導不足が事故の原因である旨反省していることに徴しても、明らかである。所論は採用できない。

二  原判決が認定した個々の事実に対する反論について

所論は、なお原判決が「争点に対する判断」の項で認定した個々の事実に対しても反論しているので、この点について更に検討する。

1  三歳児あたりの幼児などが放生池に転落する危険性について(原判決「争点に対する判断」中の<1>、<2>の事実について)

所論は、防護柵等の設備されていない放生池に幼児などが転落する危険性があり得ることは抽象的には認めながらも、池の周囲が特に滑りやすいとか、自然の状態のままに放置していたとか、転落した人物を発見しにくいとかの具体的危険性はないとし、また、幼児といっても三歳以上の幼児は池の危険性は十分に理解しており、近付き過ぎて池に転落することは通常では考えられない、という。

当時の放生池の状況及び危険性については、前記一の3(一)でみたとおりである。関係証拠によっても、周囲が特に滑りやすいなどの事情は見受けられないが、前記C子やDの供述などに照らし、二歳児以下の園児はもとより、三歳児から五歳児の園児であっても、防護柵等の転落防止設備の全くない放生池に転落する危険性が相当程度あったことは、否定し難い。

2  放生池の埋め立てについて(同<3>、<5>の事実について)

所論は、放生池については、甲野保育園の開設当時、園児が転落することをおそれ、保育園の開設者である社会福祉法人乙山福祉会の理事長であるGが他の理事に対し、埋め立てをする必要があるか否か相談をもちかけたことがあるが、協議の結果、その危険性はないとの結論に至り、そのままの状態で維持することに決まったものであり、他方、本件事故が発生して急遽埋め立てをしたことは事実であるが、再び事故を起こさないよう園児の安全を考える立場からそれが最善の方策と考えて実施したもので、危険性に思いを致して埋め立てたものではない、という。

関係証拠によると、昭和五四年四月、甲野保育園の開設に当たって、放生池を埋め立てるか否かについて理事の間で協議がなされたことが認められるが、その協議の内容等は、Gの司法警察員に対する供述調書によると、「保育園を発足させるに当たり、私は放生池に子供が落ちたりしたら危ないと思い、池を埋めてしまおうと考えて、他の理事に相談したことがあるが、そのときの皆の意見は、神社に池はつきものだということであり、行事にも使う池だし、また、柵を造ったりしても柵自体が危ないことも考えると、つい池をそのまま残しておくことになってしまった。今思えば、そのとき皆の意見を無視しても池を埋め立ててしまえばよかったと悔いている。」というものであり、必ずしも危険性がないとの結論に達して放生池を現状のまま維持することに決まったものとは解し難い。また、関係証拠によれば、放生池は、本件事故の翌日、直ちに業者に対して埋め立て工事の依頼があり、平成元年四月二三日から二五日にかけてその工事を行ったことが認められるが、被害児の母親であるH子の検察官に対する供述調書には、「事故の二日後くらいに被告人Aは、自分たちに謝罪した後、「あの池は危険だからすぐに埋める。」と言ったが、夫は証拠の池を埋めようとしていると思ったらしく、「池は埋めないでください。」と言った。私も夫の気持ちが分かり、同じことを要求したが、同被告人は、「いやすぐ埋めます。危険だから埋めてしまいます。」と言い、それから間もなく、業者に頼んで埋めてしまった。」との記載があり、これによれば、被告人Aが放生池の危険性を強く意識し、もはや一刻の猶予もできないとの気持ちでいたことが窺われるのであり、池の危険性に思いを致して埋めたわけではないとする所論は採用できない。

3  関係者の放生池の危険性についての認識が鈍麻、希薄化していたことについて(同<4>の事実について)

所論は、被告人らは、もともと過去一〇年間転落事故の起きていない放生池について危険だと考えてはいなかったのであるから、その危険性についての認識が鈍麻、希薄化するということはなく、園児に日頃接している保母は近付くと危ないとしてその危険性を園児に注意していたのであって、その認識は鈍麻、希薄化していない、という。

放生池の危険性についての関係者、特に被告人らの認識としては、次のようなことが供述されている。まず被告人Aは、検察官及び司法警察員に対し、「放生池には防護柵等の設備がないので正直のところ心配な状況だった。神社参拝に引率する場合に、池が危険であることを認識し、参拝時の事故防止についてもっと強く職員に指導していなかったことが事故の原因の一つである。毎年四月ころは、新入園児があり、園児の落ち着きもなくなり、十分に注意しなければならないことは分かっていたが、C子先生は毎年のことなので、慣れで園児を保育してしまったのだと思うし、私や妻も、保育園を開園し一〇年間同じように大宝神社に参拝してきたが、事故もなく、気が緩んでしまい、惰性で保育園を運営してきてしまった。」旨供述している。また、被告人B子は、検察官及び司法警察員に対し、「放生池には防護柵等が設置されておらず、幼児にとっては危険な池だった。園長や私が、参拝のとき、神社には池があり、危険であるので、事故防止について強く指導したり、四月は園児が慣れないため大変な時期であることは十分に分かっていたので、園外保育の時に、引率保母を増す等に注意すれば事故を妨げたと思う。保育園を開園してから同じことを繰り返してきて、今回のような事故も発生しなかったので、今までの惰性でやってしまっていた。」旨供述している。このように、被告人両名はともに、開園以来事故がなかったところから、池の危険性に関する認識が鈍麻、希薄化しており、本件事故当時はその危険性を認識した上での具体的な注意を行っていなかったことを反省点として自認しているのであるから、被告人両名にもともと危険性の認識がなかったとか、保母らの危険性の認識が十分であったなどの所論は当たらない。

4  本件当時の園児の状態について(同<6>の事実について)

所論は、園児は、園外保育を行ってもよい程度には集団生活になじんでおり、園外保育が困難であったとは考えられない、という。

しかしながら、本件事故当時の園児の状態は、前記一の3(二)でみたとおりであり、担任保母が神社参拝保育に当たってかなりの苦労をしていたことは明らかである。

5  当日の神社参拝保育時の状況について(同<7>ないし<10>の事実について)

所論は、当日の神社参拝保育の出発、帰園時の状況については、おおむね原判示のとおりとしながらも、帰園時には、団子状態になって保育園に向かっていたので、その流れからはみ出す園児がいれば、保母がこれを発見することは容易であったし、全ての園児を全ての保母が監視していた、という。

しかしながら、園児が参拝を終えて帰園する際の状況は、前記一の3(二)でみたとおりである上、当日の引率保母であるC子及びI子が、参拝時には数を確認しているので被害児も列の中にいたとしながら、両名とも、その後被害児がどのような経緯で放生池に転落するに至ったのか全く把握していないことに徴しても、所論が採用できないことは明らかである。

6  神社参拝保育時の園児の状態及び保母の引率状況に関する被告人両名の認識について(同<11>、<12>の事実について)

所論は、被告人両名の認識していた事情は、原判示の事情とは異なる、という。

しかしながら、被告人B子は、検察官に対し、「毎年五月いっぱいくらいまでは、園内生活に慣れないものが多く、担任保母はこれをあやしたりなだめたりするのに苦労しており、神社参拝の往復の途中、新入園児が泣いたりむずかったりすることが多いことは、私自身も何回も引率していたのでよく分かっていた。C子先生のクラスは、一六名中、一〇名が新入園児で、まだ園内生活に慣れていないため、引率に苦労することは出発前から分かっていたので、私が一緒に行くか、別に増員して十分な監視態勢を取るべきだった。園長も新入児がむずかる状況等は、私から報告していたし、園長自身もときどき神社で仕事中、あるいは保育園に出てきたとき見ていてよく分かっていたと思う。」と供述し、被告人Aも、検察官に対し、「毎年四月に新入園児が入るが、この新入園児は園内生活に慣れていないため、四月から五月ころまでの間は、泣いてむずかるものが多く見られる。神社参拝の往復の途中、担任保母がむずかる子供らに対し、池の鯉を見せたりしてなだめすかしていることが報告を聞いたりして分かっていた。C子先生のクラスは三歳児が一六名だったが、新入児が一〇名くらいおり、苦労していたことはよく分かっていた。」旨供述しており、原判示の事情を被告人両名が十分認識していたことは明らかである。

7  本件事故以前の指導監督態勢について(同<13>の事実について)

所論は、被告人らが池の危険性を念頭において指示、指導したことがなく、保母らも池の存在を特に意識して園児を監視していなかったという事実は証拠上認められない、という。

しかしながら、前記一の3(五)及び前記3でみた事情などを総合すると、被告人両名が放生池の危険性を念頭においた上で、保母らに対し、自己の担当クラスの園児を十分監視するよう努めることに加えて、常に園児全体を視野におさめられるよう更に保母の間で、緊密な連携のもとに、互いに共同して引率、監視を徹底するための指導、訓練をした事実はなく、したがって、保母の間でも、神社参拝保育の際の転落事故を防止する具体的な対策が講じられないまま漫然と神社参拝が続けられていたとみることができる。

三  まとめ

その他所論に即し逐一検討しても、原判決に事実の誤認は認められない。論旨は理由がない。

第四  因果関係及び予見可能性の不存在などをいう論旨について

(一)  論旨は、要するに、仮に被告人らに原判示の注意義務があり、被告人らがそれに違反した過失があるとしても、本件は引率に当たった保母らが十分に注意していれば発生しなかったものである上、既に三歳に達していた被害者が一人で放生池に行くなどの事態は予想できなかったのであるから、被告人らの注意義務違反と本件事故との間には因果関係がなく、被告人らには本件事故発生の予見可能性もなかった、というのである。

しかしながら、前記第三でみたように、本件当時の状況下においては、引率保母らの努力のみによっては本件事故を回避することは困難だったのであり、被告人両名において原判示の注意義務を尽くさなかったことも本件事故の原因となっているとみなければならないのである。そして、その場合、被告人らが原判示の注意義務を怠ることによって園児に対する保母らの監視が行き届かない状態を招来し、その結果として監視を離れた園児が放生池に転落する事故が発生するというのは、たとえ園児が三歳に達していても、通常起こり得る事態であって、被告人らの注意義務違反と本件結果との間には因果関係があり、かつ、被告人両名には結果発生の予見可能性があったということができる。論旨は理由がない。

(二)  論旨は、原判決は、被告人らがいずれも刑法二一一条に規定する「業務」に従事する者であると認定したが、同条における業務とは、人の生命、身体等に危険を及ぼすおそれのあるもの又は人の生命、身体等に生ずる危険を防止することを義務内容とするものであることを要し、かつ、同条により処罰するためにはそれらの業務に現実に従事していることを必要とすると解すべきところ、被告人らは神社参拝保育を企画したものの、実際には本件当日園児を引率していたわけではなく、現実にはその業務に従事していないから、刑法二一一条が適用されることはない、という。

しかしながら、原判決の認定した被告人らの職務が刑法二一一条にいう「業務」に当たることは明らかである。また、被告人らが現にその業務に従事していたというためには、当日実際に園児の引率に当たっていたことまでは要求されないから、被告人らが現に右の業務に従事していたことにも疑問の余地はない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤文哉 裁判官 金山 薫 裁判官 若原正樹)

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